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江戸の誘惑 [美術]

名古屋ボストン美術館の『肉筆浮世絵展 江戸の誘惑』が
日曜日までなので、見逃さないように、
あわてて昨日の夕方行ってきた。

僕は、浮世絵にそんなに興味がある訳ではない。
だけど、北斎は別なのだ。(後、はやりの若冲にも興味がある。)

昔、何気に行った北斎展で、
その圧倒的なまでの絵の力に感激したことがあり、
それ以来、北斎の絵が好きなのである。

北斎の前に、今回の展覧会の全体の印象を簡潔に記そう。
歌舞伎や遊里、行楽を描いた、美しい江戸の風景。
この浮世絵展を見ていると、江戸は、平和だったんだなぁと思った。
海の外では、ナポレオンの戦争を始め、
いろんな戦争が行われていたにも関わらず、
浮世絵の中の江戸は、あくまでも長閑(のどか)で粋である。
飢饉や、一揆とかは、あったにせよ。

タイムマシーンがあるのなら、
こんな江戸の遊里に遊びに行きたいと、つくづく思った。

さて、北斎の絵。
とにかく、カッコイイ。
のびやかで、力強く、だけど、奇抜な構図。
ラフで繊細、まさに緩急自在。

いのししの絵などは、重力から解き放たれ、
宙を自在に舞うかのような、かろやかさ。

晩年の、滝にのぞむ李白の絵は、ちょっと、
切なくて、熱いものがこみ上げた。

今回、おっと思ったのは、
北斎の絵が描かれた提灯、2点である。
提灯のまわりに、ぐるっと、龍と虎、龍と蛇が描かれていた。

絵が一周してきて、3次元的に閉じている。
例えば、提灯の正面で龍と虎の顔が対峙していても、
提灯の裏では、尻尾どうしが、絡みあっていたりする。
その構図は、まるでポアンカレ問題のように深遠である。

絵の横に書いてあった解説には、
龍は男性(陽)、虎は女性(陰)を現わす。
と、描いてあった。

虎が女性を現わすとは知らなかった。
しかし、となりの『龍と蛇』が陽と陰なので、
確かに、その通りであろう。
提灯自体が、夜の闇に照らされる光、陰と陽の道具である。

ふっと、思ったくだらないこと。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺について。

危険を冒さなければ、功名は立てられないことのたとえ、
と言われるが、虎が女性ならば、まったく別の意味が
浮かび上がってくるのではないか。
(穴に入って"虎子を得る"という所に実感が篭ります。)

粋な諺である。


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消失した絵 [村上春樹]

藤田嗣治さんの展覧会は、地元には来なかったので、見ていない。
(京都では、ちょっと時間が無くて、よれなかった。残念。)
彼の戦争画を一度、観てみたいと思っている。

彼の描いた、
哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘という絵は、2枚あった。
公式な1枚は、青空の下、日本兵がソ連の戦車を攻撃している絵で、
もう1枚は、非公式な1枚として、
画面全体をおおうように赤黒い炎が燃えあがり、
日本兵の死骸をソ連軍の戦車が、踏んでいる絵であったという。

その絵は、依頼主により秘されていたが、
空襲により消失したという。
NHK特集で昔、その絵についての証言を聞いてから、
どんな絵だったのか、ずっと気になっている。

(絵については、以下が参考になります。
http://www.ippusai.com/hp_home/sunset/fujita.htm )

さて、村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』には、
キキ(モンパルナスのキキ)とかユキとか、
藤田嗣治さんの周辺と共通する名前が多数出てくる
という説を前に読んだことがある。
(『象が平原に還った日』だったと思う。)

偶然なのか意図したのかは分からない。
だけど、藤田嗣治さんと村上春樹さんは、
ともにノモンハンを描いている。

『辺境・近境』の写真は、
ノモンハンに残された戦車の上で立つ春樹さん。
青空が鮮烈な単行本の方の写真は、残っている方の絵を
(確か、現場監督とか言うカメラで撮った写真だったと思う。)
文庫本の方の写真は、消失した方の絵を
思い出させる。


辺境・近境


辺境・近境


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ゲドとの戦い [映画]

『ゲド戦記』、初日の1回目に観てから、
1週間、この映画について考え続けている。

僕は、アニメや映画製作現場については全くの無知であるので、
偉そうなことは書けないのではあるが、あえて言ってしまうと、
無粋な映画である。
派手な映画を観ようとすると間違いなく肩透かしを食らう。

しかし、確かに、宮崎駿や高畑勲の精神を
受け継いでいこうとする骨太で意欲的な映画だったと思う。

映画が始まって、まず思ったことは、
絵柄と動きへの違和感だ。

絵柄は『太陽の王子ホルスの大冒険』みたいな、
昔のアニメ映画を見ている感覚とでもいおうか。

そんなわけで、最初は距離感を持って見てしまっていたが、
途中からは適応したのか、不思議と慣れて気にならなくなった。

逆に、気持ち良いといったら言い過ぎかもしれないが、
シンプルな絵で、アニメーション本来の魅力を取り戻したい
という新古典主義の主張は良く分かった気がした。

1週間経つが、記憶の中での映像の劣化は少ない。
いろんなことを総合して考えると、
こうした絵柄にしたのは賢明な判断だったと思う。

北欧をモデルとしたという意味でも、刺激的な画ではなくて、
敬虔なる画で良いのだ。

ただし、画にムラがある。
ハッと息の飲む様ないい感じの画、
例えば月夜のシーン
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000244.html
があるかと思えば、
疑問を感じる画や動きもある。(どちらかといえばが、後者が多い。)

画や動画の駄目出しが不十分だったのではないだうか?
(画が駄目というのは、作品全体のトーンの中でという意味で、
そのシーン単体で問題があるという意味だけではない。)

スタッフが苦労して書いた画でも、駄目なものは駄目といえる
強さが欲しい。

昔、観たドキュメンタリーでは、宮崎駿は、
『もののけ姫』でアシタカがヤックルに乗り損ねるシーンや、
『千と千尋の神隠し』の両親がばくばく食べるシーンに対して
スタッフの書いた動画を、駄目出しし続けていた記憶がある。
こうした姿勢により、一定の質が確保されていたのだと思うが、
初監督の吾朗氏にはこうしたことが難しかったのではないかと推測する。

動画を自分で書く技術が無いのであれば、
自分の意向をスタップにきちんと伝え、
自分の描きたい絵を限界までスタッフの力を出させて書かせる。
外注に出したものも含め、画を徹底的にチェックする。
それが、監督の仕事なんだろうと思う。

そしてその為の一つとしては、
吾朗監督は鈴木プロデューサーと資金やスケジュールの点で、
果てしないバトルを繰り広げないといけない。
プロデューサーと監督は仲が良かったり、
監督がプロデューサーの意向を伺っていては、
良い作品は生まない。
予算超過と撮影の遅延で総合監督ジョージルーカスを怒らせた、
スターウォーズ『帝国の逆襲』が名作で、飼いならされた
『ジェダイの復讐(あるいは帰還)』があと一歩なのと同じことなのだ。

象徴的に言えば、海!
アースシーの世界には、海と船旅が必要なのだ、とする。

それに対して、
鈴木プロが海は表現が難しいという。
しかし、そう言われたとしても、海を描くべきなのだ。
(冒頭の海のシーンや、ゲドが"はてみ丸"に乗って出てきたのが嬉しく、
海のシーンがもっと見たいと思ったので。)

主人公アレンの父王殺しが、駿を乗り越えてやるという意味ならば、
終盤、クモに操られたアレンがゲドと戦おうするシーンは、
永遠となるべき作品の為に、
ゲド(鈴木プロ)と死闘を尽くすこととなることを、
暗示しているのかも知れない。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000215.html

父親も死んでいない。
次回作の準備に入っている。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000830.html#more

戦いは続く。

以下、蛇足。
『ゲド戦記』というタイトルで、
あるいは派手な戦争のシーンを期待していた人が
いるかも知れない。
それは、本を読んでいなければ止むを得ない。

『ゲド戦記』は『ガリア戦記』や『レイテ戦記』の様に、
戦争を描いたものでは無い。

私は、『ゲド戦記』の清水真砂子さんの訳は真摯でとても素晴らしいと思う。
また『ゲド戦記』というタイトルもカッコイイと思う。
しかしそうであっても、"A WIZARD OF EARTHSEA"を
『ゲド戦記』と訳していることに抵抗を感じている。

この映画は、"アースシーの物語"ぐらいのタイトルで良かったのではないか
("の"が2つあるので縁起も良い。
映画にも英語で"TALES FROM EARTHSEA"と書いてあったような記憶があったし。
でもこれ外伝のタイトルだよなぁ)


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