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ムーンウォーク鳥 [生き物]

マイケル・ジャクソン死去のニュースには驚いた。
特集をテレビにかじりついて見ていた。

一緒に見ていた子供に、
「マイケルの全盛期はものすごかったんだよ。
みんなが踊りを真似しようとしたけれど、
だれも彼の様には踊れなかったんだ。」
と、ムーンウォークについて話したら、

「同じような踊りをする鳥いるよ。
前に動物番組にでていた。」と言う。

本当かなぁと思って、ネットで調べたら、
本当にいました。驚きました。


ところで、ニュースを見ていて、
せいてきぎゃくたいって何?
と子供に聞かれたのには困りました。。
どうやって説明すればよいのだろう?

そして、この鳥は、特別な才能を
何に使っているのだろう?
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『1Q84』の月並みな考察 [村上春樹]

高校生の頃だったか、
テレビで放送されていた『ウホッホ探検隊』という映画を
冒険映画かと思って見たら、離婚を扱ったホームドラマだった。
ストーリーは良く覚えていないけれど、印象的だったのは、
「月」の描写が、シーンの合間に出てくる点だった。

何故、月の描写がでてくるのだろうと思って、気づいたのが、
ドラマの中の時間経過を月の満ち欠けで表現しているのではないか、
ということだった。
それからというもの、テレビや映画で、
月が出てくると、ついつい時間について思いを巡らせる。

村上春樹さんの『1Q84』の中でも
「月」の描写が、興味深い。
(月は相変わらず寡黙だった。しかしもう孤独ではない。
なんて、フレーズは、掛け値なくかっこいいです。)

1984年の月齢カレンダーと照合しながら、
『1Q84』を読んでみて、興味深いことが分かったので、
ちょっとばかり紹介してみます。
(理屈抜きで楽しめる程は、面白いものではないかも知れませんが。)


【青豆が見ている月】
上巻第15章
 ○月が二つきれいに並んで浮かんでいることに気づく。

上巻第17章
 ○翌日の夜、月はやはり二つのままだった。
 ○その夜も月は二つだった。
  どちらも満月から二日ぶん欠けている。

 その翌日、老婦人との会話で、
 例の男を別の世界に移してから、
 「あと四日でちょうど二ヶ月になります。」とある。

さて、月齢カレンダーで調べると、
1984年6月の満月は、6月13日となる。
満月から二日ぶん欠けた日は、6月11日、
となると、老婦人と会話した日は、翌日の6月12日。
すると、「例の男を別の世界に移した日」は、4日後の2ヶ月前で、
4月16日となる。

しかし、「例の男を別の世界に移した日」は、
第1章では、「4月を迎えたばかりの冷ややかな風が」
とあり、4月の始めなの日なので、4月16日とは矛盾する。

1Q84年の世界では、つくりものの様に、
月はいつも、同じ形をしている可能性がある。
見かけの姿にだまされてはいけない。

なお、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は、
四月の晴れた寒い日から始まります。

【天吾が10歳の時に見た月】
上巻第12章に、以下の描写があります。
 ○四年生
 ○よく晴れた十二月始めの午後

下巻18章には、以下の描写があります。
 ○二十年も前
 ○四分の三の大きさの月だ。
 ○十二月の午後三時半の空に浮かんだ月

さて、この大きさと一致する日は、
月齢カレンダーで調べると、
1964年12月13日か14日午後3時30分、
月齢9.1か10.1の月だと推測します。
十二月始めという記述が、少し正確ではないですが、
これは、記憶は正確では無いということを
暗示しているのかもしれないですね。
(考えすぎか。)


【天吾が滑り台の上から見た月】
下巻18章には、以下の描写があります。

 ○南西の方向に月の姿を見つけた。
 ○月は二階建ての古い一軒家の屋根の上に浮かんでいた。
 ○月は四分の三の大きさだった。
 ○二十年前の月と同じだ。(同じ大きさ、同じかたち)

さらに、天吾が、居酒屋「麦頭」に立ち寄ったのが、
七時から八時にかけての時間、ということなので、
月を見たのは八時頃であると推測されます。
(どうでもいいことが、このへんな店の名前「麦頭」は、
青豆さんと字面が似ている。。)

さて、この大きさと位置に、一致する日は、
月齢カレンダーで調べると、
1984年9月4日午後8時頃、
高度28度、方位187度(南南西)
月齢8.3の月だと推測します。

月は四分の三よりは、こころもち細身ですが、
もっと四分の三ぽい、9月6日(月齢10.3)になると、
残念なことに、月は、この時間まだ南東の方向にいる。
従って、ここでは、南西に月が出ている9月4日としました。
(春樹さんは、南南西(羊)の方角に、こだわりがあるようなので。)

もっとも、月が2つになれば、
従来の計算とは、ことなる計算が必要となりますが。

月齢カレンダーは、以下を参考にしました。
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm


追記;
『1Q84』は、総合小説なので、複合的な読み方ができますが、
その骨子の一つは、1984年という年に、主人公である天吾が、
物語を書くための啓示を得、長編小説を書き始めるという小説である。

ひょっとすると、青豆さんの章は、天吾が書いた長編小説である可能性もあり、
最終的には、天吾自身も(物語の世界で)生きていく決意をします。
(といいきってしまうと、少し正確ではないとも思いますが。)

さて、村上春樹さん自身も、
1984年には、小人がでてくるちょっと怖い短編『踊る小人』を発表し、
1984年の夏からは、交互に二つの世界を描く長編小説
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を執筆しはじめます。
そして、その中で出てくる、やみくろの存在は、後に
『アンダーグラウンド』を執筆する動機の一つともなっていきます。
そして、『アンダーグラウンド』執筆の取材や執筆の過程を通して、
考えたこと、そして培っていく技術は、
さらに『1Q84』の執筆へとつながっていきます。

なお、多分1985年に出版されているので、1984年から製作を開始していた
と思われる『映画をめぐる冒険』(川本三郎さんとの共著)は、
『1Q84』の小松さんのモデルの1人とも考えられる安原 顯さんが、
プロデューサとなっています。。

こうして俯瞰してみると、
『1Q84』は、村上ワールド自身を包んでしまうような
柄の大きい作品であると感じます。

追記2;
「空気さなぎ」という文字の中には、月の模様の様に、
「うさぎ」という文字が隠れているのが、いささか気になる。
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チェーホフの観点 [村上春樹]

この1週間、今まで読んだことのなかった、
チェーホフを集中して読み、遠く昔のロシアの情景に思いをはせました。

僕が読んだのは、
小説では、『犬を連れた奥さん』と『イオーヌィチ』と『可愛い女』。
戯曲では、『ワーニャ伯父さん』と『桜の園』です。

さらに、背景や、他の作品の概要を知るために、
阿刀田高さんの『チェーホフを楽しむために』を読みました。

ときにコミカルに、ときに共感を感じる
登場人物や情景が、今もあざやかに目に浮かびます。

さて、村上春樹さんの『1Q84』には、チェーホフの言葉として、
「物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない」
という予言めいた言葉がでてきます。

チェーホフの作品において、その言葉は、
文字通りの意味で、実践されているのか?

ということは、気になった人もいますよね。
これを糸口として、チェーホフを読んで確かめてみるのが、
得ることの多い、まっとうな方法なのだということを、
一言申しあげた上で、
得られた、驚くべき事実を
(本当は驚くほどでもないですが)
ここに整理してみるといたしましょう。

【チェーホフ四大戯曲における拳銃の発射について】
(1)かもめ
 チェーホフの観点に基づき、拳銃は発射されています。

(2)ワーニャ伯父さん
 チェーホフの観点に基づき、拳銃は発射されています。
 しかし、この拳銃は、何故か、人にあたらない魔法の銃です。
 (拳銃は、発射されたからといって、あたるとは限りません。。)

(3)三人姉妹
 拳銃は、舞台には現れず、舞台裏で使われた模様。
 チェーホフの世界では、
 物語の表舞台で、拳銃はあらわれなくても、
 発射されることはあるようです。

(4)桜の園
 物語の中で、拳銃は小道具として出てくるが、発射されない!
 

さて、こうして整理してみると、『1Q84』の青豆さんには、
「チェーホフの小説作法の裏をかけ」の代わりに、
「チェーホフの観点では、物語には、いろいろな可能性があり、
物語の意味を一つに決める必要はないのだよ」と、
教えたくなりました。

吸引力が強い本と頼もしさ [村上春樹]

1Q84-3.jpg
ちょっと仕事がたてこみ、
また、人前でスピーチをする機会がありました。
スピーチといっても、どこかの大統領の前でするわけでもなく、
ささやかな場ではありましたが、
それでも、緊張しました。
何とか、言いたかったことは伝わった様で、
まぁ何とか一段落。

忙しい時というのは、昔から、読書意欲が向上します。
頭が活性化するのか、あるいは、現実逃避か。

1Q84も読みました。
読み終わった後、本を閉じて、
周りの景色を見ると、世界がちょっと変ったんじゃないかと
怪しく思えるぐらい、吸引力が強い本でした。

今日、大きな本屋で、また本を物色していたら、
水商売風の女性、大学生ぐらいの若い2人連れの男子、
初老の夫婦なんかが、入れ替わり、村上コーナー
の強い引力に、引っ張られるように訪れては、
きょろきょろと探して、無いなぁ、売り切れか、
がくっりだ、という感じで、通りすぎていきました。
凄いことになっています。

1Q84を読んで、(正確には、地球のはぐれ方の
時からずっときになってはいたのですが)
チェーホフって面白そうだなぁと思って、
今さらですが、チェーホフを読み始めています。
戯曲はちょっと、難しそうなので後回しにして、
とっつきやすそうな、「可愛い女」「犬を連れた奥さん」
を岩波文庫で読みました。

この小説は、110年も前にクリミア半島のヤルタ
で書かれたもので、岩波文庫の神西清さんの翻訳も
太平洋戦争前の1940年なのに、
結構、文章のリズムや、終わり方の余韻が上手くて、
あまりのクォリティの高さに驚きました。
(文豪にむかって、不躾ですね。)

中高生の時には、読んでもこの良さは分からなかっただろうなぁ。
今、この年になって、しみじみ分かる面白さ。
新しい小説のあり方の芽吹きが感じられます。

この小説の書き方や、その姿勢みたいなものが、
色々な人を経由して、村上春樹さんに、そして、
新しい世代へと受け渡されていっていると思うと、
なかなかに頼もしいです。

2009_0607色々0093-2.jpg


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