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かいじゅうたちのいるところ [映画]

もう、ずいぶん前から、話題になっていることだけれど、
モーリス・センダックの、ワイルドで楽しい絵本
『かいじゅうたちのいるところ』(Where the Wild Things Are)
が映画化され、10月にアメリカで公開される。
監督は、スパイク・ジョーンズ。
予告編が、とにかくすばらしい!(枠からはみ出しますが、大きい画面で紹介します。)



詳しくは、
http://wherethewildthingsare.warnerbros.com/

この予告編を見ると、絵本を読んだ時と同じように、
かいじゅうになって、
かいじゅうたちと一緒に、ほえたくなります。

個人的には、絵本では、
主人公のマックスがいたずらをする時に着る、
おおかみのぬいぐるみ(wolf suit)とか、
月の変化なんかにも興味をそそられました。
この予告編では、先生が、月が太陽と地球の間に入ることで
日食となることを黒板で説明していたり、
居間で母親がキスしている所を、ものかげから
wolf suitを着たマックス君がこっそり見ていたりしている。
映画では、こうした日常の生活が、絵本の世界を膨らませるかたちで
上手く描かれているようで興味深いです。

さて、4月のイースターの祭りで、
ホワイトハウスで開かれたイベント
(イースター・エッグ・ロールというらしい)で、
オバマ大統領が、子供たちに、『かいじゅうたちのいるところ』
を読み聞かせている。



この中で、とくに楽しいのは、
and made him king of all wild thing
"And now,"cried Max, "let the wild rumpus start!"
マックスを かいじゅう たちの おうさまに した。
「では みなのもの!」マックスは おおごえをはりあげた。
「かいじゅうおどりをはじめよう!」

この後に続く、
オバマ大統領のかいじゅうおどりが楽しめるのは、3分35秒過ぎです。

これに対して、
so he gave up being king of where the wild things are
マックスは かいじゅうたちの おうさまを やめることにした。

からのオバマ大統領の朗読は、前半と比べて、
寂しい感じがするのは、気のせいなんだろうな、多分。

そういえば、ティム・バートンの
アリス・イン・ワンダーランドの予告編も公開されている。
http://www.facebook.com/video/video.php?v=1082113067445&ref=mf
写真で見ていた時は、ディーテルが素晴らしく、
映画の仕上がりに期待していたが、
こちらの予告編は、ちょっと虚ろな感じがしていやな予感がする。
この予感、外れると良いのだが。

ぼくの好きな場所~クリスの夏休みの日誌より [風景]

ぼくの好きな場所は神社です。
神社はいつも人がいなくて、夏はとてもすずしくて
快てきにすごせるのでおちつきます。
小さいころから友達とよく木登りなどをした
思い出があります。
それに、そこのとなりの家に大きな犬がいて、
よく遊んでいてとても楽しいからです。
木登りするときもちょうどいい木がたくさんあり、
とても楽しかったです。
さい近は、いそがしくてあまり行っていないので
また、ひまな夏休みに行きたいです。

『1Q84』における背景音楽としての『ビリー・ジーン』 [村上春樹]

村上春樹さんの『1Q84』では、
冒頭のヤナーチェックの『シンフォニエッタ』に続いて、
青豆が別世界に入ろうとする、まさにその時に、
マイケル・ジャクソンの『ビリー・ジーン』が流れる。

1984年は、マイケル(当時25歳)の絶頂期であり、
この曲が流れることは、
当時を思い出させるのに十分な効果をあげているが、
この本を読み進めていくうちに、
それだけではないということが分かる。

この大事な瞬間にマイケルのこの曲が挿入されていることに、
この作品の底知れない深みを感じる。

(1) 『ビリー・ジーン』の歌詞とのつながり
Be careful what you do
Because the lie becomes the truth
(することに気をつけて。 嘘が本当になるから。)

この一節は、『IQ84』のテーマとも良く合致している。
なお、扉のペーパー・ムーンの歌詞からの抜粋も同様のテーマが選ばれている。
そういえば、映画『ペーパー・ムーン』に主演していた
テイタム・オニール は、マイケルとも交際していたことがあるらしい。
また、お父さんのライアン・オニールの、『ある愛の詩』は、
春樹さんの前作『アフターダーク』にも、
面白おかしく扱われていましたね。

Billie Jean is not my lover
She's just a girl who claims that I am the one
But the kid is not my son
(この子は、僕の息子じゃない。)

繰り返されるここの歌詞は、2章の天吾君の登場シーンに、
ダイレクトにつながっていきます。

また『1Q84』の中で、この音楽が流れる場所にトラの看板がありますが、
『ビリー・ジーン』のビデオの中の街のセットにも、
意味深な看板とトラの子がでてきました。

(2) サウンド・オブ・ミュージック
僕は、この映画が好きなので、贔屓目で見ているからか、
春樹さんの小説で、映画『サウンド・オブ・ミュージック』が
でてくると、つい喜んでしまう。
ちょっとした役ですが、『IQ84』にも出てきたので嬉しかった。

さて、『ラトーヤ・ジャクソンが語るファミリーの真実』
という、ちょっといわくありげな本(以降、ラトーヤの本と呼びます。)
を読んでいたら、マイケルの話として、
「五歳のときには、幼稚園の発表会で<サウンド・オブ・ミュージック>
の"クライム・エブリィマウンテン"を歌い、生まれて初めての
全員総立ちの大喝采を経験している。」
とある。ジャクソン・ファミリーは、
悲劇のトラップ一家だったと考えることもできる。

(3) 宗教、父親、暴力
マイケルが入っていた宗教は、『IQ84』の証人会のモデルの団体
と考えられるが、これらについて書くだけの情報を僕は、持たない。
ただ、ラトーヤ本に出てくる、マイケルのセリフが心に残ったので
紹介する。

「わかるさ。だからこそ、ぼくは<バッド>を書いたんだ。
だからこそ、ぼくはあのビデオや
<ザ・ウェー・ユー・メーク・ミー・フィール>の中で
あんなに身をくねらせたり、自分の体をひっつかんだりしているんだ。
つまり、それはジョーゼフ(父親)と宗教への仕返しで、
ぼくは自分のしたいことができ、
彼らはぼくをコンロールできないことを知らせてあるんだ。」

マイケルの変化とその痛みの一端が分かるような気がする。
ラトーヤは、本の中で、以下のように分析している。

マイケル・ジャクソンは、(省略)、
非虐待児のファンタジーに変身することにより、いつも苦痛を逃れるのである。
でもあたしが言いたいのは、マイケルがその作品の中で、
理想主義的な社会改良家として演じている場面が多いことである。
どれほど賞賛すべきことであっても彼の目的は必ず、
『スムース・クリミナル』と同様に、権力や暴力を通じて達成されるのである。

この辺りの記述も、『IQ84』と合わせて、考えさせられることが多い。

(4) (小休止)音楽を記録する媒体のちょっとした歴史
リトルピープルの声を聞いていたというエジソンが、
改良型蓄音機を発明し、
マイケル・ジャクソンは、
音楽をデジタル信号としたCDの普及に一役を買った。
だから何? と言われそうですが。。

(5) キング・オブ・ポップ 体中の痛み
正直な所、マイケルを、キング・オブ・ポップと呼ぶことには、
多少の違和感を感じるが、
マイケルをキングと扱うことは、
『IQ84』の文脈の中での王の扱いと、共通点が多い。

6月の終わりに、
マイケルの突然の死という報道が世界をめぐる。

ぼくらは、体中を痛みで蝕まれた王が針により殺される、
という『IQ84』の黙示録的な暗示が、
また一つ現実化したことを知る。

『ビリー・ジーン』の歌詞が、世界に流れる。

Be careful what you do
Because the lie becomes the truth

Billie Jean is not my lover
She's just a girl who claims that I am the one
But the kid is not my son

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