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完璧について再び [村上春樹]

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

という言葉は、もちろん、村上春樹さんのデビュー作
『風の歌を聴け』の書き出しである。
ここから始まる冒頭の1章は、特別にかっこいいので、
すらすらと暗誦できる人もいることだろう。

「僕がその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、
 少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。
 完璧な文章なんて存在しない、と。」

という文章が、先の言葉に続く。
僕がずっと後に理解できた「本当の意味」とは何だろうか?

この「本当の意味」を求めるために、
「完璧な文章なんて存在しない」という慰めの言葉を受けた1章全体を、
かっこいい村上さんの文章を台無しにしてしまうけれど、
あえて要約してみる。

 完璧な文章は書けないけれど、
 今のベストを尽くして小説を書くことにした。
 うまくいけば、何年か何十年先には、
 美しい言葉で文章が書ける。

ここでのポイントは、完璧な文章を書くことに、
希望があるということだ。

まわりくどい言い方だが、
「完璧な文章などといったものは存在しない。」
という絶望も存在しないのだ。

文章を書くことに対する希望、
あるいは励ましといってもいいかも知れない。
これが、この言葉の「本当の意味」だったと思う。

村上春樹さんの小説は、
文章を書くことについての文章を通して、
同時に、生き方についても語っている。

村上さんは、デビュー作から30年、
マラソンを走るように、多くの文章を書き続けた。
小説を書き、せっせと翻訳をし、エッセイを書き、工場見学をし、
紀行文を書き、音楽について書き、取材してノンフィクションを書き、
読者との大量のメール交換をし、イスラエルの大統領の前で講演もした。
そして最新作『1Q84』を書いた。(未だ書いている?)

『風の歌を聴け』の書き出しから、この長い道のりを経て、
『1Q84』までたどり着いたことは、一読者としても感慨深いものがある。

最近、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』(新訳版)
(ハヤカワepi文庫)を読んだ。
この小説は、ビック・ブラザーという全体主義に
支配される完璧な絶望で終わると、長い間思っていた。
しかし、小説読了後、
トマス・ピンチョン氏によるこの本の解説を読んで、
成る程とうなった。
この小説には、見過ごしかねない様なさりげない形で、
しかし、はっきりと希望が語られていたのである。
完璧な絶望は存在しない、と。
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クラウス家の受難 [小話]

クラウスの息子クリスが発熱したのは、10月最初の土曜日のことだった。
その日の夕方、クリスはぐったりして、居間で寝転がっていた。
クリスは寝転びながら体温計を脇にはさんでいた。
そして、母クラリスに、「38度5分。」と伝えた。
驚いた母はクリスに聞くと、外で遊んでいた昼頃から頭が痛かったと言う。
母は、直ちにクリスを車に乗せ、休日診療所に連れて行った。
もしインフルエンザだったとしたら、少しでも早い段階で、
タミフルか、リレンザを処方してもらうことが大事なのだ。

固唾を呑んで待った、病院でのインフルエンザの検査結果は、陰性だった。
発症から6時間以内は、反応が出ないことがあるのだ。

病院で、医師は尋ねた。
「家族にインフルエンザの人はいますか?」「いません。」
「学校ではどうですか?」
「流行りはじめています。」と母が答える。
自分はインフルエンザではない、と固く信じるクリスが、それを否定する。
「ぼくのクラスにはいません。」
母があわてて補足する。
「同じクラスでは、昨日体調が悪くて、昼で帰った子がいます。
となりのクラスにインフルエンザで休んでいる子が1名います。」
クリスが補足する。「疑いがあるだけです。」

苦笑して医師が尋ねる。
「他に、インフルエンザ患者との感染は考えられますか?」
母は思い出す。
「中学生の兄がインフルエンザだった子の家に、遊びにいっています。」
クリスが否定する。
「1週間ちょっと前。その子の兄さんは直っていたし、部屋には入っていない。」
「1週間以上前ですか? 潜伏期間を考えると、そこでの感染の可能性は低いですね」
母はインフルエンザであると判定し薬をもらいたいし、
医師とクリスは、結託して、インフルエンザであることを否定していた。
「明日、熱が下がらなければ、また来て下さい。」と医師は結論を出し、
その日は、解熱剤と普通の風邪薬を処方してもらい、帰宅した。

その夜、クリスの症状はさらに悪化を続けた。
咳がひどくなり、翌日の日曜の朝には、熱は39度5分となった。
母は、病院に電話をし、クリスを再び病院へ連れて行った。

母は間違いなく、インフルエンザだ、と確信していた。
適切な薬を早く処方して欲しい。
しかし、医師は、再検査をためらっていた。
「病院では検査薬は不足していて、
可能性が低い患者の検査は止めたい。」という事情でもあるのか?
と母はいぶかる。

それでも母は、強く再検査を希望し、
押し通して再検査をすることとなった。

そして、今度のインフルエンザの検査結果は陽性だった。
医師は「季節性インフルエンザですね」と、伝えた。
新型かどうかの検査はされなかったが、
ついにインフルエンザの特効薬であるリレンザが処方された。

家に帰ってきたクリスに、クラウスは尋ねた。
「新型インフルエンザだった? 特効薬はもらえた?」
クリスは、かすれた声で否定した。
「季節性。」

クラウスは、病名がはっきりすることを好む特性がある。
病名がはっきりすれば、適切な処置をすることが可能となる。
しかし、何故、クリスは、頑なに新型を否定するのか?
クラウスは、仕事場で、同僚が新型インフルエンザにかかった時の
周りの対応を思い出す。

十分に休めば良いよ、という言葉の裏に、うつすなよとの思い。
そして、熱が下がり、十分な期間自宅待機して復帰した同僚に対しても、
感染を恐れ、最初はなるべく言葉を交わすのは避けようとしたりする。

大人ですらこうなのだ。
十分な知識を持たない子供の世界はさらに残酷かもしれない。

知人から聞く話では、公表する不都合を恐れ、
職場を病気で休んだ人は、
周りの人に対して普通の風邪であろうとするらしい。
周りは、怪しいなぁとおもいつつも、その只の風邪、
という言葉を信じようとする。
しかし、偽って、職場に早く復帰しすぎることで、
感染が広がるリスクがあり、これは望ましいことではない。

我々に必要なことは、正しい医学的知識による
冷静で、温かい対応なのだ。

クラウス家では、家族のものに感染しないよう、
クリスを一部屋に隔離し、十分に気をつけて看病にあたった。
そして、リレンザの効果もあったのか、
クリスの熱は発熱後3日後には平熱に下がった。

それから2日して、医師に治癒証明書をもらい、
今週末の連休もあったので、クリスは今日まで11日間自宅で過ごした。

明日の火曜日から、クリスは久しぶりに学校に行く。
休みの間に、クリスは友達から、クリスがいないとさみしい、とか、
早く良くなれよ、という手紙をもらっていた。
明日学校で、友達がクリスを温かく迎えてくれたら嬉しい、
とクラウスは思うのだった。
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