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くまのアングリーのおはなし [小話]

『公募ガイド』という雑誌で、
くまのアングリーのおはなしを募集していた。
この雑誌は、毎月、アングリーという名前の
可愛いいクマのイラストが表紙に描かれていて、
その表紙のイラストのおはなしを募集していた。

12月号の表紙を見た時に、ひとつのお話が浮かんできて、
すぐに書いて、応募してみた。
入選はしなかったけれど、
自分では面白いものが書けたような気がするので、
よろしければ読んでみてください。

    ↓その表紙のイラストはこれです。
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笑門福来
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 僕の母は、ショービジネスの仕事をしていて、
いつも世界中を旅していた。
今日はモスクワ、来週はパリ、来月は東京で公演という具合だ。
そんな訳で母はめったに家に帰ることは無かった。
その上、僕には父がいなかった。
生きているのか死んでいるのかも知らなかった。
母は父について話してくれたことが無かったからだ。
何ひとつ。僕が15になるまでは。

 その年のクリスマス、母はめずらしく家にいた。
ロンドンでの公演がキャンセルになったのだ。
母と二人で食事をしていると、母がおもむろに話し始めた。
「アングリー、
 あなたには父親のことを話したことは無かったわね」
「聞いてはいけないことだと思ってた」
「そうね。思い出すのがつらかったから。
でも、あなたも大きくなったし、話しておかないといけないわ。
あなたの父親の名前は、シャオシャオ。
中国語で笑うという意味なの」

 僕は、あまりのことにあんぐりと口を大きく開けた。
そして一呼吸してから聞いた。
「中国のクマなの?」
「ジャイアント・パンダ。
 16年前、北京でのサーカスで共演したのが出会い。
 シャオシャオは白黒の毛だったから、
 あなたの茶色の毛は私に似たのね」
「どうして別れたの?」
「色々とね。食べ物の好みや生活習慣も合わなかったし、
 政治的なこともあった。
 でもね。アングリー、これだけは覚えていて。
 シャオシャオはとっても愉快なパンダだったわ。
 いつもニコニコして、とぼけていて、
 みんなを笑わせていた。
 彼といると温かくって幸せな気持ちになった。
 私はシャオシャオが大好きだった」

 そう言うと母はニッコリとほほえみ、緑色の包みを取り出した。
包みからは竹林の香りがする気がした。
中はあたたかいマフラーだった。

 僕はそのマフラーを今でも大事にしている。
雪が降って寒い日なんかにマフラーをして歩いていると、
未だ会ったことのない父親のことを思いうかべる。
今シャオシャオはどこにいて、何をしているのだろうと。

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