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セロひきのゴーシュ の絵本と絵葉書 [本]

今朝、新聞を読んでいたら、サエキけんぞうさんが、
「茂田井武美術館 記憶ノカケラ」を紹介されていた。
いわく、「本屋でなにげなく手にとって驚いた。
カワイサの魂の画集、店頭で夢中となった。」
僕も本屋で、チェックしようと思った。

しばらく前のことだけど、僕の子供が、小学校で、
友達に絵本をすすめるハガキを書いてきた。
ポストに出す前に、見せてもらったら、
宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」だった。
とても可愛い絵だね。と言うと、
学校にあった絵本を真似たんだ。と教えてくれた。
どんな絵本かと思って調べたら、
茂田井武さんが最晩年に作られた絵本だった。
この絵本も、本屋でチェックしないと。

セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)

セロひきのゴーシュ (福音館創作童話シリーズ)



子供の絵葉書を投函前に写真で撮っていたので、
載せて置きます。
2008_1006セロひきのゴーシュ20020-3.jpg

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20世紀少年が帰る家 [本]

浦沢直樹さんのマンガ『20世紀少年』について、
とりとめもなく考えたことを書こうと思う。

最初に、僕はそれ程、良い読者ではないことを断っておきます。
(そう予防線を張っておかないと、ボロボロにつっこまれそうなので。
暖かい目で読んでやってください。なお、映画は未見です。)
連載中は、立ち読み等で、とびとびに読んだぐらいで、
話についていけてませんでした。
といっても、二代目ともだちの正体は誰なのかは、多くの読者と同様、
とても気になり、読み損ねた回なんかもあったので、
最終巻の22巻や、21世紀少年の下巻とか、ポイントになる巻だけは、
ちゃっかり買ったりして、読み直したりしていました。
そして、最後に出てくるあの名前は、
いったい誰だったか思い出せなくて、なんだか、あせりました。。
そうであっても、連載中は、引きが強く、いつもドキドキしたし、
また爽やかな終わり方でもあり、とても満足していました。

さて、ちょっと前に、知り合いが、大きな紙袋に入れて、
『20世紀少年』と『21世紀少年』を全巻貸してくれた。
そこで、あらためて1巻から繋げて、読み直すことができた。
(必ずしも読む直すという表現は正しくでないですが。)

1日平均4冊読んで、1週間弱で読み終えたが、
この1週間は、どっぷり『20世紀少年』に、のめりこみました。
おぉ凄い!とか、あぁ、そうだったのか、とか、
色々楽しみながら、読みました。

大変面白く読み終わったのだけど、あれ?そうだったっけ?
とひっかかる所があり、年表を書いてみたりして、色々考えたりした。

このマンガは、とても緻密に組み立てられたものなのか、
話の流れを大事にして、
連載時に随時設定が変えられていっているのか、
判断がとても難しい。
どちらでも楽しければよいのですが、このマンガは、
どちらのスタンスで書かれているのか区別がつかないのが、悩ましい。

僕が個人的に、気になったのは、
○サダキヨが転校して来て、そして転校していったのは、いつか?
○少年時代のカツマタ君は、どこにでてきていたのか?
(会話の中でではなく、実態として。)
という、二点です。

サダキヨというのは、いつもお面をかぶっている、
目立たないキャラクターとして登場するが、
その後、まるで、作者の手を離れて独りでに動き出したかのように、
魅力を発揮する人物です。

ウィキペディアの20世紀少年の項目なんかでは、
http://ja.wikipedia.org/wiki/20%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%B0%91%E5%B9%B4

サダキヨは、
1970年(ケンヂ小学5年生)
一学期、サダキヨが転校して来る。
二学期、サダキヨまた別の小学校に転校する。

ということになっています。
しかし、そこでちょっと矛盾となるのが、その前年の、

1969年(ケンヂ小学4年生)
夏、ケンヂたちが秘密基地を作る。
サダキヨ、フクベエと秘密基地で知り合う。

という事実です。
1年前で、サダキヨは転校してくる前だけど、
隣の学校だから、空き地の秘密基地で、フクベエと知り合うことも
あるという、説明をつけることは可能です。

しかし、僕にはどうもそれが、しっくりこない。
それは、一番最初に、この転校の話がきちんと描かれた10巻では、
サダキヨの告白として、
「転校してきて、いじめられ、友達がほしくて、
(本当は、秘密基地を作っていたケンヂ達と友達になりたくて、)
訪れた、草むらの秘密基地で、フクベエと出会った。
そして、夏休みが終わる前に、また転校した。
その後、中ニになるまで、その町には戻っていない。」
という事実が、語られているのだ。

従って、サダキヨの告白が真実に思える僕には、

1969年(ケンヂ小学4年生)
サダキヨが転校して来る。
夏、ケンヂたちが秘密基地を作る。
夏休み前、サダキヨまた別の小学校に転校する。

というほうが、正しいと考えられるのです。

それでは、
1970年(ケンヂ小学5年生)
一学期、サダキヨが転校して来る。
二学期、サダキヨまた別の小学校に転校する。
というのは、間違いのなのでしょうか?

この1970年のサダキヨの転校の話は、16巻で、
2代目ともだちが、ヴァーチャルランドのために読み取らせている
(フクベエの記憶を修正している?)
記憶の中のエピソードとして描かれています。

16巻の第2話~第5話では、万博が行われた1970年が描かれており
フクベエの家に入り浸っているサダキヨが描かれています。
第5話で1970年の2学期の始まりにサダキヨが転校していったことが
描かれています。

そして、第6話では、冬頃の理科室で、
サダキヨのふりをして、カツマタ君が、
フクベエの仲間にもう一度入るという、
入れ替わりトリックが楽しめます。

ウィキペディアの20世紀少年の項目では、
概ねこの説に従って年表が書かれているみたいです。

さて、僕は、
ヴァーチャル・アトラクション内の描写は、情報が操作されているため、
誰の記憶なのか、誰の恣意が働いた記憶なのかを、
注意して読まなければならないということを改めて前提としたい
と思います。
(最初に、ヴァーチャル・アトラクション内が描かれた時に、
1970年が、1971年に改ざんされていたように。)

この前提のもとに、少し大胆ですが、
この16巻の第2話の1970年以降に出てくるサダキヨは、
本当は、全て、カツマタ君ではないのか、
と考えると、なかなか面白いと思います。

2代目ともだちは、
フクベエの記憶では、カツマタ君だったシーンを、
全てサダキヨに置き換えた。
従って、サダキヨの転校のエピソードは、整合をとるために、
2代目ともだちによって無理に1970年に挿入されたと考えられます。

そう解釈すると、10巻でのサダキヨの告白と
16巻の描写が整合がとれ、
都市伝説の少年だった、顔のないカツマタ君の顔が見えてきます。
(もちろん、ヴァーチャル・アトラクション内の顔は、
少年時代の写真が無いはずのサダキヨの顔ですが、それはそれ。)

サダキヨとカツマタ君の二人は、
合わせ鏡のような、顔のない少年たちの代表です。
長い物語の終わりで、カツマタ君に謝り、また励ましたケンヂのように、
彼らが帰ることができる、あたたかい家を持ちたいと思います。

浦沢直樹×三谷幸喜の対談も面白かったです。
http://www.pia.co.jp/cinema/special/080828_autumn/autumn_taidan.html

以下の頁も参考にしました。
http://d.hatena.ne.jp/thyself2005/20070718/p1
http://d.hatena.ne.jp/thyself2005/20080808/p1?timestamp=1223691591

なお、21巻での、2代目ともだちの記憶の中で、
ケンヂたちが、1年生の教室から出てくるのも、
本来は中学2年生の教室でないとおかしく、
(1973年にならないと、20th Century Boyはリリースされないので)
2代目ともだちの記憶自体も1年ずれていますが、それもそれで。。

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レモンの日 [本]

レモンの日.jpg


今朝、車でラジオを聴いていたら、作家の小川洋子さんが、
高村光太郎の『智恵子抄』を紹介していた。
今日は、智恵子の命日だそうだ。

夕方、スーパー買い物にいったら、
レモンの日ということで、レモンを売り出していた。
一つ買って帰って、本に乗せて、写真を撮ってみた。

http://www.tfm.co.jp/ml/

ローマの歩哨 [本]

塩野七生さんの『ローマ人の物語』のシリーズは、パクス・ロマーナまでしか未だきちんとは読んでは無いが、とても考えさせられることが多い本だ。

この本を読んでいると、不思議なことに、ローマ軍は、敗戦に敗戦を重ねても敗軍の将を罰っしていない。なぜなら、すでに敗将となった時点で、名誉を重んじるローマ市民にとっては、最も重い罰である"恥"という罪がを与えれれていたからだ。これにより、指揮官が払底されること(いなくなって補充がつかない状態になること)にはならず、失敗経験が次の戦闘にフィードバックされる効果もあったという。

しかし、軍規が甘かったかといえば、そうでもない。
ローマ軍の軍規の厳しさは、毎夜律儀に宿営地を築くこと以上に有名だった。
『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』には、ローマの歩哨(ほしょう)のことが記されている。夜間の警戒は、日没から夜明けまでを四等分し、四交代で歩哨に立っていたという。一回の歩哨勤務は三時間程度で、全員が四日に一度は歩哨に立つぐらいだったと書かれている。そして、夜間の歩哨勤務中に眠り込んだりして任務を怠った兵士には、事実上の死刑が待っていたという。

僕は、死刑という制度には反対だが、軍隊において、歩哨というのは、それだけ重要な任務であるということなのだろう。イージス艦あたごの衝突事故のニュースを見ていたら、これらのことを思い出した。ローマの精神に学ぶことは多い。

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『また会う日まで』読了 [本]

ジョン・アーヴィングの『また会う日まで』(原題:UNTIL I FIND YOU、小川高義訳)を、
先ほど読み終えました。なんとも面白い小説だった!

『バベットの晩餐会』(北欧と音楽という意味あいでしか使っていません。。)と、
『源氏物語』(女の海という意味合いで。。)を、『ガープの世界』に融合させた
とでも言える骨太なストーリー
そして皮膚の様に細部まで緻密なディテール。
その上、遊び心満点。ストーリーは時系列でとても読みやすい!

アクロバディックな人間模様を見つめる作者の目がとても温かく、
落ち込んだ時なんかは、きっと励ましてくれるであろう、心強い小説である。
さらに、変な主人公ジャックが、驚いた時の「おー」という脱力感漂うセリフには、
女性は間違いなく、癒され、くすぐられるに違いないと思う。

また会う日まで 上

また会う日まで 上


また会う日まで 下

また会う日まで 下

  • 作者: ジョン・アーヴィング
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/10/30
  • メディア: 単行本


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ハリー・ポッターを読み終わる [本]

『Harry Potter and the Deathly Hallows (Harry Potter 7)』を読み終わる。
J.K.ローリングは、この終わりが書きたかったんだと、再び深く納得する。
この終わり方に向けて、かくも広大で緻密な物語の世界を生み出した作者の
はてしない想像力に感動する。

ストーリーに触れるので、まっさらな状態で本を読みたい方は、
続きを読まないで下さい。

続きを読む


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『カラマーゾフの兄弟』読了 [本]

予定通り、金曜日に『カラマーゾフの兄弟』を読み終わる。
信じがたい程に、緻密に練られていることに驚嘆するとともに、
こんなに大事なことが書いてあったんだ、と何度も驚いた。

今では足りなくなった、とはいうのだけれど、
人生について知るべきことは、すべてこの本の中にある
というのは、大げさではない。

先日、
『それでもボクはやっていない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』(周防正行)
を読んだが、そこには、映画『それでもボクはやっていない』と同じく、
「十人の真犯人を逃がすとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」
という、法格言が冒頭に紹介されていた。
そして、この本もこのテーマを掘り下げたものになっていた。

「疑わしい人はつかまえておいて」ではなく、
どうして「疑わしきは罰せず」なのか?という疑問を周防監督は、元裁判官の木谷氏にぶつけ、
 人類の長年の叡智が作り上げた、一つの貴重な考え方
 自分たちが共同体の中で幸せに暮らしていくための「社会的なルール」
であると考えをまとめていた。

『カラマーゾフの兄弟』では120年以上前のロシアでの裁判が描かれている。
この中では、既に同じテーマが語られている。
 罪の無い一人を罰するよりも、罪のある十人を許すほうがすばらしいのです。
と、登場する弁護士が熱弁を奮う。そして、次のことを思い出して欲しいという。
 つまり、ロシアの裁判とは、たんに罰するためのものではなく、
 破滅した者を救いあげるためのものであるということを!
 
ドラマの見事さとあいまって、そうだ!と心の奥底で、共感する。
もちろん、これをそのまま、現代には適用はできない。
だけど、知っておかなければならないことだと思う。

追伸:
 昨日、ハリー・ポッターの最終巻が届いた。
 つい、我慢できなくって、最後の章を読む。
 そして、これをJ.K.ローリングは、最初に書いたんだと深く納得した。

 地震の被害の一日も早い復旧を心から願います。


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それでもボクはやっていない の本 [本]

『それでもボクはやっていない 日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』(周防正行)
を読んだ。

この本は、映画『それでもボクはやっていない』のシナリオと、その解説と、
元裁判官の木谷明さんとの徹底対談からなっている。

映画『それでもボクはやっていない』は、ボクは観ていない。
観ていないのに、こんな本を読むのは少し変っているかも知れない。

周防監督が11年ぶりにとった映画ということで、興味はものすごくあったが、
映画館で観なくても、DVDかテレビ放映で観れば良いかと判断していたのだ。

しかし、中身は、ずっと気になっていた。
図書館で、この本を見かけて、手にとってちょっと読んでみたら、
もの凄く面白そうだったので、借りて来て、先ほど読み終わった。

シナリオは、慣れていないので、読みにくいものだと思うけど、
裁判を舞台とした、会話が中心の映画のシナリオなのか、
シナリオ自体がとても良くできているからか、大変分かり易く、面白く読めた。

そして、シナリオに続く、
「なぜこのシーンをカットしたのか」、という自作解説がまた面白い。
全体の流れを整えるため、観客に映画の流れを分かり易くするため、
どういう理由で、そのシーンをカットしたのかが、とても丁寧に解説してある。
この映画で大事なことは何か、そして、それを如何に伝えるのか、
というのが、カットする際の主たる理由であるようだ。
素晴らしい演技をしてくれた俳優にも申し訳なくおもいつつも、妥協は無い。
この映画への姿勢は、映画のテーマの裁判に対する周防監督の誠実な姿勢そのものである。

「元裁判官の木谷明さんとの徹底対談」は、分かり易い言葉で、
実に意味深い対談が行われており、裁判に対する理解を深めることができる。
裁判をより良くしていく為には、裁判が開かれたものとなることと共に、
普通の人々の理解も必要なんだと感じた。

この本を読んで、読んで良かったとつくづく思う。
そして、多くの人に是非手にとって読んでもらいたいと思う。
映画も観なきゃ。


九死に一生~泣き虫弱虫諸葛孔明 [本]

ここでの主題は『泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部』のことである。
しかし、その前に季節の話に触れたい。
花粉がつらい。

目がかゆくて、アレルギー反応で象の目の様に皺だらけだし、
鼻水はだらだら出て、鼻をかみすぎて、赤鼻のトナカイである。
薬草にも通じた孔明の知恵で、何とかならないか。

『泣き虫弱虫諸葛孔明 第弐部』は、
孔明出廬後から長坂坡の戦いまでが描かれている。

長坂坡で、曹操軍団に囲まれた中で、
天才軍師 孔明は、劉備を如何にして脱出させ、九死に一生を得たのか?
孔明あるいは酒見賢一の手品を見せられたかの様な巻である。

手品といっても、Mr.マリックの様な鮮やかな手品なんだけど、
マギー司郎の様な人をくったお笑いでもある。

とにもかくにも、トリックスター劉備の華麗なダンスと、
全てを超越した、孔明のすることなすことが、やたらと可笑しい。

全ての登場人物が、歴史が、この本の中で生き生きと脈打っている。
その波動が、読んでいるこちらの頭の中と横隔膜を激しく揺さぶる。
幾たび、腹がよじれたことか。

腹はよじれ続けると、癖になる。
箸が転がっても笑う状態になってしまう。
笑いが加速している所に、突如、最大の笑いの壺が現われる。
横隔膜のビック・ウェーブ!
腹がよじれ、笑いが止まらず、口から息ができない。
花粉症もあり、鼻から呼吸はできない。
このまま笑い死にすると思った。青くなった顔で、はぁはぁいって、
笑いを止めた時には、くたくたとなっていた。
恐るべし、孔明。

この本は、服用の際、注意した方が良いだろう。

第壱部?については、以前に以下で紹介しています。

諸葛孔明の妻
http://blog.so-net.ne.jp/miron/2005-07-23

泣き虫弱虫諸葛孔明 第2部 (2)

泣き虫弱虫諸葛孔明 第2部 (2)


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アラビアについての書物 [本]

先週の土曜日に図書館で3冊の本を借り、この7日間は、寝るのも惜しむ様にこの3冊を夢中になって、並行して読んだ。3冊の本とその感想を以下に簡単に記そう。

○現代アラブの社会思想 終末論とイスラーム主義 池内恵
 こうしたことはまったく何も知らない僕には、かなり難しく、理解できなかったけど、
 まさしく、現代のアラブの社会思想が垣間見えた気がした。
 裏表紙に池内氏の写真が見えたのが嬉しい。
 
アラビアの夜の種族 古川日出男
 2001年のクリスマスに発行された書物なんだけど、最近、続けざまにこの書物の評判を聞いて、図書館で探した。(この10年のベスト・ミステリー等??)
 一般の書棚には、古川日出男さんの書物は沢山ならんでいるんだけど、この書物は見当たらなく、調べたら閉架にしまわれていた。司書に言って出してもらって借りたのだが、何だか自分の為にとってあったような気がして嬉しかった。
(既にこの書物の術中に嵌っていた?)
この書物は、ナポレオンのカイロ侵攻を食い止めるため、高級奴隷(マムルーク)のアイユーブが、『災厄(わざわい)の書』を製作するという話であり、これが読むのが止められなくなるような面白い物語なのである。そして同時に、書物と人間の関わりについての物語でもある。夜と朝、夢と現、物語と現実、の垣根が次第に溶けていく所が面白い。

○書物の運命 池内恵
 この本は、図書館の初めて行ったアラブやイスラームのコーナーで探しても見つからなくて、これまた滅多に行かない、図書や書評の関係の本が置いてあるコーナーにおいてあった。内容的には、どちらも含まれているし、さらに「著者が、カイロにアパートを借りていて、町の怪しい書店で大量に本を仕入れる」ような話を満載した上質なエッセイの面もあり、とても知的好奇心を駆り立てる懐の深い本であった。
この本の書評で紹介されている多数の本のうち、僕は、村上龍の『半島を出よ』しか読んでいなかったので、この本に紹介されている他の本も読んでみようと思う。この本自体は、本屋で見かけたら買っておかなくては。別件ですが、この本には池内さん『新撰組!』を観ていたことが書いてありましたが、NHKドラマ『坂の上の雲』制作(2009年秋~2011年秋まで放送)も、いよいよ発表されました。今から楽しみ。

P.S. 昨夜、僕は迷宮のような図書館に入り込んだ夢を見ました。
   迷宮のような図書館に入り込む夢を見たい方には、これらの本を図書館で纏めて借りて、
   並行して読むことをお勧めします。


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